古いほうが上になっているので、そのまま読めます。

  • 2008/07/19(土) 20:02:14

通勤カレッジは、明主様の御教えを通勤・通学途中の電車・バス内で、暗記するためのブログです。

通常のブログとは異なり、投稿の古いものから上に表示していますので、そのまま読んでいただければ理解できると思います。

みんなの拝読を待ってます。

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次回のブログから「浄霊法講座」

  • 2009/01/04(日) 22:31:09

次回のブログから、明主様御教え集「浄霊法講座」を紹介します。

この「浄霊法講座」は、昭和28年11月1日から30年5月1日にかけて出版された明主様御教え集です。

浄霊の個所の重要性という観点から編纂されたものであり、皆様の明主様御教えの理解の一助になるものであると考えます。

なお、このブログ上の明主様御教えの抜粋方法は原本とは一部異なりますので、ご注意ください。



浄霊法講座 1 はしがき


最近、明主様の御教えをいただき、御浄霊の重要性ということを特に感じ、明主様御教え中より、御浄霊に関する御教えを抜粋し、ここに「浄霊法講座」として発行する次第であります。

「寒冒・病気とは何ぞや」 1 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/05(月) 12:41:33

明主様御教え 「寒冒・病気とは何ぞや」 1 (昭和26年8月15日発行)


「人体を物質と見做(みな)して、唯物療法を進歩させて来た医学は、どの点に最も欠陥があるかを、順を逐うてかいてみるが、

それについてはまず、実際の病気を取上げて説明してみるのが、最も判り易いからそういう事にする。
 
まず、人間として、何人も経験しない者のない病としては寒冒であろう。

ところが寒冒の原因は医学では今もって不明とされており、近来僅かに発見されたのが、ヴィールスによる空気伝染とか、アレルギー性によるとか言われているくらいで、

吾らからみれば問題とするには足りない稚説である。この説も近き将来無意味とされる事は間違いあるまい。
 

そもそも、人間は先天的に種々なる毒素を保有している事は、医学でも認めている。

例えば、天然痘、痳疹(はしか)、百日咳等は元より未知の毒素も色々あるであろう。

ところでそれら毒素は自然生理作用が発生し、外部へ排泄されようとする。

これを吾らの方では浄化作用と言う。

そうして毒素は、最初一旦人体の各局部に集溜する。

その場合神経を使うところ程多く集まる、人間が最も神経を使うところは上半身特に頭脳に近い程そうである。

人間が目が醒めている間、手足は休む事はあっても、頭脳を始め、目、耳、鼻、口等は一瞬の休みもない。

としたら毒素集溜の場合もそうであって、肩、頸、淋巴腺、延髄、耳下腺付近は固より、頭脳が主となっている。

このように各部に集溜した毒素は時日を経るに従って、漸次固結する。

それがある限度に達するや、排除作用が発生する。

ここに自然の恩恵を見るのである。何となれば、固結のため、血行が悪くなり、肩、頸が凝り、頭痛、頭重(ずおも)、

視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、臭覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩、腰痛、浮腫等々により、活動力が減殺されるからで、

それがため人間本来の使命が行われない事になる。それで造物主は病気という結構な、浄化作用を作られたのである。」 つづく




「寒冒・病気とは何ぞや」 2 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/05(月) 19:05:10

明主様御教え 「寒冒・病気とは何ぞや」 2 (昭和26年8月15日発行)

「右のごとく、毒素排除作用の苦痛が病気であるとしたら、病気こそ浄血作用であり、健康上最も必要なもので、神の恩恵中最大な物というべきである。

ゆえにもし人類から、病気を取除いたとしたら、人間は漸次弱って、ついには滅亡に到るかも知れないのである。

ところが私は、病無き世界を造るというのであるから矛盾するように思うであろうが、これは根本的に異(ちが)っている。

というのは人間が無毒になれば浄化作用の必要がなくなるから、共に病気もなくなるのは判り切った話である。

この意味において私は、これから出来るだけ解り易く徹底的に説いてみよう。
 

話は戻るが、固結毒素の排除作用を、私は浄化作用と名付けたが、まず初め寒冒に罹るや発熱が先駆となる。

自然は固結毒素の排除を容易ならしめんがため、熱で溶解させ液体化すのである。

この液毒は速やかに肺に侵入するが、この作用は実に神秘であって、例えば吾らが浄霊(これは療病法の名称)によって固結毒素を溶解するや、

間髪を入れず肺臓内に侵入する。その場合筋肉でも骨でも透過してしまうのである。

何しろ身体各局所にある固結毒素(以下毒結と称す)が、普通一、二箇所くらいなら軽い症状で済むが、局所を増す毎に重くなる。

最初軽いと思った寒冒が漸次重くなるのは、そういう訳である。」 つづく




「寒冒・病気とは何ぞや」 3 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/06(火) 00:02:52

明主様御教え 「寒冒・病気とは何ぞや」 3 (昭和26年8月15日発行)

「右のごとく、液毒は迅速に肺臓内に侵入し、稀薄な場合は痰となって即時排泄されるが、濃度の場合は一時停滞し、咳というポンプ作用を待って、間もなく気管を通じて外部へ排泄される。

咳の後には必ず痰が出るに見ても明らかであり、くしゃみの後に鼻汁が出るのも同様の理である。

また頭痛、咽喉の痛み、中耳炎、淋巴腺炎、手足の関節や、鼠蹊(そけい)腺等の痛みはいずれもその部にあった毒結が溶解し、出口を求めようとして動き始める。

それが神経を刺戟するからである。そうして液毒には濃い薄いが出来る。

濃いのは喀痰、鼻汁、下痢等になるが、極薄いのは水様となり、盗汗(ねあせ)や尿によって排泄される。

このように浄化作用なるものは、最も自然に合理的に行われるもので、造物主の神技に感嘆せざるを得ないのである。

一体造物主すなわち神は、人間を造っておきながら、病気などという人間を苦しめ、活動を阻害するようなものを与えられるはずはなく、

常に健康であらねばならないにかかわらず、人間が誤った考えで毒素を作り、貯溜させるので、止むなく排除の必要が発る。

それが病気であるとすれば、寒冒の場合も何らの療法もせず、自然に放任しておけば完全に浄化が行われるから順調に治り、健康は増すのである。

この理によって人間は出来るだけ風邪を引くようにすべきで、そうすれば結核などという忌わしい病は跡を絶つのである。」 つづく




「寒冒・病気とは何ぞや」 4 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/07(水) 00:08:45

明主様御教え 「寒冒・病気とは何ぞや」 4 (昭和26年8月15日発行)

「ところがどうした事か、いつの頃からか不思議にも、右の清浄作用を逆解してしまった。

そこで発病するや極力浄化を停めようとする。

何しろ浄化の苦痛を悪化の苦痛と間違えたのだから堪らない。

そのため熱を恐れて下げようとする。

下熱すれば毒結の溶解が停止されるから、咳痰を初めあらゆる症状が軽減する。

ちょうど病気が治るように見えるのである。

判り易く言えば、せっかく溶け始めた毒結を元通りに固めようとする、その固め方法が医療なのである。

氷冷、湿布、薬剤、注射等すべてはそれであって、全部固まると同時に症状が消失するので、これで治ったと思って喜ぶが、何ぞ知らん、実はせっかく排除をしようとするその手を抑えつけるようなもので、これは事実が証明している。

よく風邪が拗(こじ)れるというが、これは人体の方は浄化しようとする、それを止めようとするので、つまり浄化と非浄化との摩擦となるから長引くのである。

また一旦風邪が治っても、暫くすると必ず再発するのを見ても分るであろう。

ゆえに結果から言えば、医療とは病気を治す方法ではなく、治さないで延期させる方法である。

従って本当に治るという事は、毒素を外部へ排泄し、体内が清浄となって、病気の原因が皆無となる事である。

だから真の医術とは浄化が発った際、固結毒素をより速く溶解させ、より多く体外へ排泄させる事で、それ以外真の療法はないのである。」 (「結核の革命的療法」より)




「黴菌の発生」 1 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/08(木) 01:34:17

明主様御教え 「黴菌の発生」 1 (昭和27年12月1日発行)


「前項に説いたごとく、結核菌は、自然発生であるとしたら、ではどこからいかなる過程を経て発生したかを、

何人にも理解し易いよう理論物理学的に、理論心理学的にかいてみるが、

何しろ見えざる霊を対象とするのであるから容易でない事は、今日まで何人といえども試みた者のないにみても明らかである。

というのは事実の裏付が困難であったからでもあろうが、私は事実を根拠とした理論を発表するのであるから、

たとえ唯物科学をもっていかに反対するといえども、打ち破る事は不可能である。
 

それについて前もって知っておかねばならない事は、世界というものの構成である。

これ程進歩した現在の学問でも、そこまではいまだ判明していないに反し、私はそこまで徹底して説くのであるから、

静かに心を潜めてこの文を熟読すれば、何人といえどもこの発見の偉大さに驚くと共に、医学の誤謬に目醒めない訳にはゆかないであろう。

そうしてまずこの世界の構成であるが、それは一次元の物質界と、二次元の空気界と、三次元の霊気界との三段階から成立っているものである。

ところが現在までの学問では、一次元と二次元の世界だけしか判っていないため、この二つの世界を基本として形成されたものが現代科学であるから、その点に一大欠陥があったのである。

というのは右の無とされていたこの三次元の世界こそ、実は一切万有の力の根源であって、この力によって万物は生成し化育し、無限の発展を遂げつつあるのである。

ところがそれに未知である学者は、現在の科学をもってすれば、何物をも解決出来得るとするこの科学過信の誤りが、三次元の霊気界を否定し、今日のごとき不具的医学を作ってしまったのである。

その結果今までに種々説明したごとく、表われた病気症状を抑えるだけで、根本的治病は不可能なるため、結核は減らないのである。
 
右のごとく根本から外れた医学としたら、進歩すればする程横道に迷い込んで、枝葉末節に囚われてしまい、すべての病原を黴菌にしてしまったのである。

その証拠には甲の病気を解決しようとすれば、乙、丙の病気がおこるというように、ただ形を変えるだけの事で、これが余病である。

さて論旨を進めて右の霊界と人間とは一体どういう関係にあるかというと、もちろん人間といえども右の三段階中の存在である以上、

肉体は物質であり、水分も空気でヤハリ物質であるが、今一つの見えざる霊こそ実は人間の本体であって、これが病気の発生源である。

ところが唯物医学は病気とは肉体だけのものと思い、一切の病原を肉体に帰し、外部からの黴菌浸入のためとの、言わば外敵説に反し、

吾々の方は内敵説であり、医学の感染説に対し、吾々は自然発生説である。

しかし外部説は機械で分かりうるが、内部説は分かり難いため、今日のごとき迷妄に陥ってしまったのである。

それを以下順をおって解説してみよう。」 つづく




「黴菌の発生」 2 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/09(金) 17:40:09

明主様御教え 「黴菌の発生」 2 (昭和27年12月1日発行)

「ここで一体人間の霊なるものは、何であるかというと、科学的に言えば非常に密度が高く超稀薄なものであって、

現在進歩した電子顕微鏡でも、到底見る事は出来ない程の超々極微粒子であるにもかかわらず

これこそ前記のごとく人間の本体であるから、全く想像もつかない程の神秘幽幻なものである。

この理によって病原の最初はこの霊の全部または一部に曇りが発生する。曇りにもその原因に二種ある。

一は人間が犯す罪穢によるものと、二は薬毒によるものとである。

前者の罪穢とは言うまでもなく因果説に属するもので、人を苦しめるとか、社会を毒すとかいうつまり悪の行為からであり、

後者の薬毒とは先天性のそれと後天性のそれとの合併したものであるが、

それは別の項に譲るとして、ここでは曇りそのものについてかいてみるが、

曇りの本質はちょうど大空の雲のごときもので、言わば水素の密合体である。

これにも不純性と純粋性があり、後者は晴れた日の鱗(うろこ)雲や段々雲に等しいもので結構だが、

前者に至ってはいずれは風雨発生して払拭されなければならない。

これが天体の浄化作用であって、人間の病気もそれと同様であるにかかわらず、

それを知らない医学は、せっかくの浄化作用を停止するのであるから、

この不純性の曇りは漸次濃度を増してゆくと共に、ここに一種のバクテリヤが発生する。

これは無機質植物性のごときもので、時の進むに従い段々生育し、遂には有機質に変化する。

この有機物こそ黴菌の卵であって、この卵が時を経て一人前の親となり個性となって、初めて顕微鏡で見得る程度になるのである。

この理を知ったなら彼のウイルスも分かるであろう。

すなわちウイルスとは右のごとくまだ親にならない黴菌の子供であるから、顕微鏡では見えないが、

確かに育って親となり病原となるので、これは学問でも認めている。」 つづく


「黴菌の発生」 3 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/10(土) 00:20:00

明主様御教え 「黴菌の発生」 3 (昭和27年12月1日発行)

「以上の理によって根本的に病気を治すとしたら、右のごとき黴菌の発生源である霊の曇りを解消する以外に、真の治病法のない事は明らかである。

としたらこの原理こそ現代科学の水準よりも、遥かに高度である事も認識出来るであろう。

ではその曇りの解消はどうすればいいかというと、私はこの方法を神から教えられあわせてその力をも授けられたのであるから、

本著の付録(省略)に見るごとき、素晴しい実績を挙げつつあるのである。

以上のごとく私は病理の根本にまで突き進んで説いたのであるが、なお一層深く解説したいが、

そうなると宗教的分野に入り、第三者には信じ難いから、ここでは出来るだけ科学的に解り易く説明するつもりである。

 
それについての曇りの解消とは一体どういう意味かを説明してみるとこうである。

すなわち施術者は患者の患部にむかって掌をかざすや、施術者の掌から一種の光波が放射されるのである。

ではこの光波とは何かというと、分かりやすく言えばこれは太陽の精であって、私はこれを火素と名付けた。

すなわち空気の本質は水素であるに対し、霊気の本質は火素であるからで、

もちろん火素といえば火には違いないが、人間が現在目で見、熱く感じるそれは火素の体であって、右の火素とはつまり火霊である。

この火霊が人霊の曇りに向かって放射されるや、曇りの中の不純分子だけ焼尽され、その灰に相応する分子が排泄物となって体外へ排除され、純粋分子は漿液中に混入されてしまい、ここに曇りすなわち病原は解消されるのである。」 つづく




「黴菌の発生」 4 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/11(日) 00:38:05

明主様御教え 「黴菌の発生」 4 (昭和27年12月1日発行)

「では本教信者になると、このような治病力ある火霊が、なぜ放射され得るかというと、

これは信者が首に掛けている御守から発する光波である。

この御守というのは私が書いた文字で、光、光明、大光明の三種あるが、

これこそ主の神(エホバ)の神霊が、私の霊体を中継として御守に伝達され、御守から信者の掌を透して放射されるのである。

しかしこの説明を聞かされても、すぐに信ずる事は出来まい。

むしろ反感を抱く者さえあるかも知れない。

そんな馬鹿な事がこの世の中にあってたまるもんか、インチキにも程があるとするかも知れないが、それも無理とは思わない。

何となれば有史以来、かくのごとき超物理的例はないからである。

しかし事実はあくまで事実であり、百の議論よりも一の事実にしかずである。

これを一言にしていえば、いよいよ天の時来って、神は人類救済の大任を私に命じられたのである。

その一着手としての医学の革命であるから、この事を知ったなら今私の行っている事は、何ら不思議はないはずである。
 

以上のごとくこの項はすこぶる神秘的な説明になったが、これは神秘でも何でもない。

実は純然たる科学である。ゆえにこれを読んで神秘と思われるとしたら、それは現在科学のレベルが低いからで、将来一層も二層も進んだ暁、容易に理解出来るのはもちろんである。

そこに到って初めて科学と宗教との一致点が見出され、真の文明は生まれるのである。

そうして今日口を開けば学問の目的は、真理の探究にありとしているが、私からいえば最早真理は発見されたので、その解説がこの著である。
 
ここまで説明してもなお信ずる事は困難であろうが、そもそも真理とは何かというと、端的に言えば現実そのものである。

たとえば東から太陽が出るのも、人間が生れて死ぬのも現実であって真理である。

としたら私が説くところの神秘な説といえども、理想でも桁外れでもない。

現実そのものである。まだ色々言いたい事があるが結核問題とは段々離れてしまうから、このくらいにして置くとする。」 (「結核信仰療法」より)


「健康の真理」 1 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/12(月) 01:14:11

明主様御教え 「健康の真理」 1 (昭和25年4月20日発行)

「そもそも、健康を説くに当って第一に心得るべき事は、健康の真諦は自然順応であり、自然尊重である事である。

それについてまず考うべき事は、造物主すなわち神が人間を造られた御目的は何であるかという事である。

吾らの解釈によれば、それは真善美の完き世界を造る事である。

といってもこんな途方もない説は容易に受入れ難いであろう。

もちろん、そのような理想世界は何万、何十万、何百万年かかるかは分らない、

としても世界はそれに向かって一歩一歩進歩向上しつつある厳然たる過去の事実を見れば否定も出来得ないであろう。

そうして神は霊で人間は体であり、両々相まって無限の進歩を遂げつつあるのが実相で、その担当者として人間があるのはいうまでもない。
 

以上のごとくである以上人間の責任たるや実に大なりというべきであると共に、

この大事業を遂行する何よりの条件としては、人間の健康である。

この意味において神は人間にはそれぞれの使命を与え、

任務を遂行するに足るだけの健康を与えられているのは当然である。

何となればもし健康を害うとしたら、神の御目的は達せられないからである。

まずこの道理を基本として深く考えるとしたら、健康こそ人間の本来であり、常態であらねばならない。

しかるに不思議にも人間は病気に犯されやすい。

すなわち異常体となるのである。

とすればこの事の根本が明らかに判り異常体を正常体に復活せしむる事こそ神の御目的に添う事になるのである。
 

右の意味によって、人体の異常化を検討する時、何を発見するか。

それは何よりも自然に反するためという事である。

ゆえにこの反自然の実態を把握し訂正し、常態に復元する事こそ真の医学であって、

その復元の可能であるこそ、正しい医学のあり方である。

したがって反自然とはいかなるものであるかを以下詳説してみよう。」 つづく


「健康の真理」 2 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/12(月) 19:52:20

明主様御教え 「健康の真理」 2 (昭和25年4月20日発行)

「人間がこの土に生れるや、最初は人乳または獣乳を飲む、

これは歯がいまだ生えず、消化器能も出来たての脆弱性であるからで、

漸次、歯も生え揃い、体内器能も一人前になるに従って、それに適応すべき食物を摂る事になる。

また食物もあらゆる種類があり、それぞれ特有の味わいを含んでおり、

人体の方にも味覚を与えられ、楽しんで食するようになっている。

その他空気も火も水も、人間の健康に必要な程度に存在しているというように、実に完全に出来ている。

人体といえども頭脳から理性も記憶も感情も生れ、手によって物は造られ、足によって人体を自由に移動せしめ、

毛髪も皮膚も爪も眼、鼻、口、耳等必要なものは、実によく備わっている。

加うるに顔貌から全身まで皮膚によって包まれ、それぞれの美を発揮している。

ざっとみただけでも、以上のごとくで、仔細に検討する時、言葉では言い表せない造化の妙技である。

一輪の花、一枚の葉、山水の美、鳥獣虫魚の末に至るまで、神技の素晴しさに感歎せざるを得ないのであるが、

特に人間に至っては全く造物主の傑作である。

特に種の保存としての生殖作用至妙に至っては言語に絶するものがある。

このような神の大傑作である人体である以上、

病という人間活動を阻止するような異変は、いかに反自然的過ちを犯しているかを考えるべきである。

人間たるもの、この事に最も反省しなければならないのである。」


「人間は健康の器」

  • 2009/01/13(火) 00:18:23

明主様御教え 「人間は健康の器」 (昭和25年4月20日発行)

「よく昔から人は病の器などというが、これほど間違った話はない、

吾らはこれを訂正して人は健康の器なりというのである。

前項に述べたごとく元々人間は健康に造られたものであるからである。

ところが実は病なるものは人間に付物で、どうしても解決出来ないのが現実で、

やむを得ず宿命として諦めてしまったのである。

もちろん人間一度病に罹るやなかなか簡単には治らない。

長くかかったり頻繁に病気に罹ったり人によっては健康時よりも罹病時の方が多い事さえある。

それがため病の器としか思えないのでそのような状態が長く続く事によって病の器などという言葉が出来たのであろう。

というのは病気の本体が不明であったからで、

病気も死の運命も免れ得ないとされて来たのは無理からぬ事であった。

彼の釈尊の言われた生病老死の諦めもそのためである。

また今日予防医学という事を言われるが、これらも一度病に犯されるや容易に治し得ないからの窮余の産物としか思えない。

何となればもし医学が治病能力が絶対であるとしたら、予防医学など考えられ得ないからである。


ここで再び本論へ戻るが、前述のごとく病原である反自然とはいかなる点であるかを説明してみるが、

まず人間罹病するや唯一の方法として薬剤を用いるがこれがそもそもの誤謬である。

薬剤とは漢方においては草根木皮、洋方においては鉱物植物等から抽出されるもので、これが根本的反自然である。

考えてもみるがいい。右のごとき薬剤の性質は必ず苦味、臭味、酸味等、例外なく人間の嫌忌される味をもっている。

よく昔から「薬の後の口直し」という事がよく物語っている。

これらの呑み難いのはなぜであろうかを考えるべきで、

神は有毒であるから服んでは不可である事を示されているのである。

彼の苦痛緩和用の麻痺剤としての阿片は罌粟(けし)の花から採るのである。

元来芥子(けし)の花とは神が人間の眼を楽しませる目的で造られたもので決して人間が服むべく造られたものではない。

また近時流行薬の一として用いられるペニシリンにしても、

原料は植物の苔という事であるが、これらも人間が口へ入れるものとして造られたものではない。

石または土に美観を添えるためのものである。

この理によってあらゆる飲食物は人間の嗜好に適するよう造られている以上それを食えばいいので、それが自然である。

よく何が栄養になるとかないとかいうような事などはもちろん誤りである。

食物はすべてその土地の気候風土によって幾分の差異はあるが、

それがその土地に生れた人間に適すべく生産されているのである。

黄色人が米を食い、白色人が麦を食うのもそうであり、

日本が島国であるという事は魚食を多くせよという事で大陸人は肉食である事もそれでいいのである。

この理によって農民の菜食も自然に適っている。

二六時中休みなく労働に堪え得るという事は、菜食が適しているからである。

その理を知らない栄養学は近来農民に魚肉を食わせようとするが、これを行えば農民の労働力は減少するのである。

それに引換え漁民は魚食のため持続的労働は出来ない、間歇(かんけつ)的に労働する。

また魚食は敏感性を高めるので漁業に適するので自然は実によく出来ている。
 
以上は、薬剤と食物の反自然的誤謬を概略かいたが、特に薬剤がいかに有毒であるにかかわらず、なぜ昔から応用したかという根本原理を漸次説き進めてみよう。」




「浄霊の原理 神示の医学」 1 (浄霊法原理 1)

  • 2009/01/13(火) 20:10:58

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 1 (昭和24年5月30日発行)


第 一


この原理を説くに当たって最も困難であることは現代人の教育程度では非常に判り難いと思うからである。

というのは現代教育が徹頭徹尾唯物主義によって構成されたものである以上これもまた止むを得ないのである。

ひるがえって今日各宗教の開祖の事蹟を文献や言い伝えによって眺むるとき、必ずといいたいほど奇蹟を行っている。

大宗教ほどしかりである。ところがその時代の文化程度ではただ奇蹟を表し利益を与えるだけで大衆は納得した。

その内容や理論は別に求めようとはしなかった。

そうしてここに遺憾なのは最も奇蹟を表したキリストのごとき、もしあの贖罪がなかったとしたら、生存中にいかに大多数の人類を救い教線を拡充し得たかはいまでも想像され得るのである。

それがすこぶる短期間で終わったのは、まったくその時代サタンの力の方が強かったためで、これは否定できない事実であろう。

以上のごとくサタンの力が勝れていたということは、霊界の関係で時期尚早であったからである。

しかるにいよいよ時は熟し霊界の大転換は廻(めぐ)り、サタンの力が日に月に弱まりつつあるのは吾らの霊感によって明らかである。


私は神示によって、今日まで世界の謎とされていたあらゆる事象を感得しこれによって正邪を明らかにし、善悪の根本を究明し、一切の過誤を是正し、

今日まで唯物文化のみ進展しつつあった偏向的現実に対し、断然唯心文化をして躍進せしめ両々相ともに進歩発展せしめ、地上天国の理想世界を出現せんとするのである。

それについて本教信者が驚くべき奇蹟によって、大いなる効果を挙げつつあるその原理の一端を解説しようとするのである。

さきに述べたごとく、未開時代の人や文化の低劣時代と違い、現代人は具体的に表れた奇蹟だけでは、全面的信頼は湧かない。

どうしても理論の裏づけがなくては納得しないのである。

既成宗教萎靡(いび)の原因もその宗教が唯物文化を否定するだけで、現当利益を与え得ないからでもある。


ここで本教信徒が顕す奇蹟の中の浄霊法の原理を説いてみるが、それは病者に向かって数尺離れたところがら手を翳す(かざす)ことによってたちまち難病重患が軽快する。

堪え難い苦痛も短時間に軽減または消滅する。

どう考えても奇蹟というよりほかはない。

数人の博士が見放した病者が、何ら医術的素養のない入信数カ月の信徒が、起死回生の効果を挙げることは枚挙に遑(いとま)ないほどである。

現代の唯物的見方ではまったく理屈に合わない大問題というのほかはない。


現代医学は何百何千年以前から各国の優れた学究が研鑽錬磨し完成されたものであって、その精微にして巧緻(こうち)なる療法は賛嘆に価するものがある。

しかも数十年の修錬研究はもとより何万の学費を費してなった現代大家が意のごとくならない病患が、無学の一凡人が浄霊法を行うや顕著な効果を現すのであるから、

まったく世紀の驚異であるといっても過言ではあるまい。

実に理外の理とはこのことである。

これらの実績を聞知しただけでは容易に受け入れないばかりか、

かえって迷信視したり、精神異常的にみることさえあるのも、蓋(けだ)し止むを得ないであろう。

恐らく歴史有って以来の空前の大事件である。

本教の宣言にある「病貧争絶無の世界」というような大言壮語は、真に確信がなくてはいえるものではない。

もしその実力がないとすれば、それは世を欺瞞することとなり許すべからざる罪悪を構成するからである。

ところが、前述のごとき奇蹟は実は吾らからいえば奇蹟ではなく、絶対的根拠があり、

顕るべくして現るという科学的説明の裏づけがあるのでそれをできるだけ詳細に書いてみよう。」 つづく




「浄霊の原理 神示の医学」 2 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/13(火) 22:03:55

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 2 (昭和24年5月30日発行)

第 二


いよいよ浄霊の原理を説くが、これについて前提として知らなければならないことがあるからまずそれから述べてみよう。

そもそも万有一切は、物質のみではなく、別に眼に見えないところの霊なるものがある。

勿論、人間といえども霊と体とから成り立っており、これを概略分類すれば霊は太陽の精であり、体は月と土の精である。

それを判りやすくいえば霊は火であり陽であり、男であり、表であり、経であり、昼である。

それに引き換え体は水であり、陰で女で裏で緯で夜である。

ところが科学においては体のみを対象として、霊の存在を認めない。

この点が根本的誤謬である。何となればもし人間が体のみで霊がないとしたら、それは単なる物質である、木石と同様無機質である。

生命もなければ精神の活動もありえない。こんな単純な理論が判らなかったことが、今日までの科学の根本的誤因であった。

故に彼ら科学者の考え方は、この空間は空気のみの存在として他は無としていた。

ところが何ぞ知らん、空気以外の諸々の不可視原素がどのくらいあるか判らない事実で遺憾ながらその発見にまで科学は未だ進歩していないのである。

右のごとき不可視原素の実態を幸いにも私は発見し得たのである。

これを私は霊科学と名づけた。この発見を契機として、人類の最大苦である病気が滅消される時代が開始されるに到ったことは勿論である。

今日まで全然不明とされていた病患に関するものは一切解明されたのである。

したがって今日のごとき医学研究の必要はもはやないと言ってもいいのである。」 つづく


「浄霊の原理 神示の医学」 3 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/14(水) 01:48:51

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 3 (昭和24年5月30日発行)

「次に病気発生の根源をせん明してみるが前述のごとく人間は霊と体の二元的要素から成立している以上、

人間が生きているというその動きは、霊と体が密合一致し、霊が体を動かしているからである。

そうして霊は人体と同様の形状をなし、霊の中心に心があり、心の中心に魂がある。

この三者一体の活動が意志想念となって表れ、

この見えざる霊すなわち意志想念が肉体の支配者であるから、霊が主で体が従となる、すなわち霊主体従である。

これを判りやすくいえば人間が手足を動かす場合、手足が自主的に勝手に動くのではない、意志の命令に従って動くのである。

眼も鼻も口も人体全部ことごとくがそうである。

病気といえどもこの原理の通りで、判りやすくするため、誰でも経験のある腫物を取り上げてみよう。

腫物は最初小なる隆起ができ、それが漸次腫脹し、膨大し、赤色を呈し、発熱を伴い局部は痛み、痒み等の苦痛があるのが通例である。

この現象は体内の毒素が自然生理によって排泄さるべき活動が起こり、

一局部へ集溜し発熱によってその毒結を溶解液体化し、排泄を容易ならしめる、それが自然良能作用である。

また排出口を作るべく、皮膚をより薄く柔軟ならしめる。

故に赤きは、透明状となった薄皮を毒血が透して見えるのである。

それから間もなく小孔が開きたちまち液体毒血膿は潟出し浄化が終わるのである。」 つづく




「浄霊の原理 神示の医学」 4 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/14(水) 19:20:33

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 4 (昭和24年5月30日発行)

「右は体の説明であるが、この際霊はいかなる状態であるかというに、腫物そのままの一種の雲状を呈するのである。

いわば曇りである。病気の重いほど曇りは濃度である。

右のごとく曇りが霊の局所に集まるかというと、それが不断の浄化作用であって

霊全体の曇りが一個所に集溜し、排泄活動が起こる、それが病気である。

勿論体の方とは密接不離な関係である。

しかるに腫物の場合、医療は穿孔または切開によって毒血膿排除を行うがこれは大なる誤りで、

多くの場合毒血膿が充分集溜せざる以前に手術を行うため、切開後非常に長い間毒血膿が集溜し、傷口が塞がらないことがよくある。

盲腸炎手術後など何年も傷口が塞がらないのは右の理によるのである。

故に堪能なる医家は、腫脹が充分熟するのを待って切開するが、これは全治を非常に早めるのである。

ところが最初から何らの方法も行わず、腫脹が充分熟して自然に小穴を作り、毒血膿排泄するようにすれば

予後は非常に良好にて短期間に治癒する事実はとうてい手術の比ではない。

例えば未熟の手術は一カ月を要するものが、熟した手術は十日間で、自然放置は五日間で治癒するのである。

しかし困ることは自然熟を待つとすれば排膿までの期間苦痛に堪えないが、

一度手術をすれば、一時苦痛を免れるから手術も止むを得ないということにもなる。

ところが右の苦痛はいかに激しくとも浄霊療法を行えば、苦痛は全然消失するのみならず、

膨大赤色の脹れが毒血膿排泄されるまで、無痛であるのをみて人々は驚嘆するのである。

この不思議な原理を次に説いてみよう。

さきに、霊主体従の原理を説いたがこれは独り人体ばかりではない。

一切万有ことごとくはこの法則に漏れるものはないのである。

したがって浄霊の目的はこの霊の曇りを解消するのである。

これによって霊の曇りは虚脱状態となる、つまり霊の生を死に転換するのである。

死んだ曇りは力が零となるから、神経を刺戟しないことになる。

無痛苦となるのはそれがためである。

しからば、なお徹底して浄霊が曇りを解消するというその原理はいかなるものであるかを説いてみよう。 」 つづく


「浄霊の原理 神示の医学」 5 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/15(木) 00:46:19

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 5 (昭和24年5月30日発行)

第 三


「前項に述べたごとき霊の曇りの本質は一体何であるかというと、これは人体保有の水素中に発生した毒菌である。

この毒菌は恐らく数百万倍の顕微鏡でなくては見えないほどの極微粒子であってこの微粒子発生の原理は別の項に詳説することとするが、

ここでは右の毒微粒子を死滅させる原理を説くに止めるとして、この死滅法こそ言うまでもなく霊の力である。

しからば浄霊とは、霊の曇りすなわち毒素を人体放射能の力によっていかにして死滅させ得るかというに、

その放射能の原素は光の本質である火素から発生する光波である。

これはちょうど水素中の毒菌とは反対の元素で、一言にして言えば善と悪である。

勿論この光波は光の極微粒子で、この活力こそすばらしい殺菌力を発揮する。

とすればこの光波の本質とは一体何であるか、いまそれを解説してみるが、

この光波の極微粒子こそ、神霊からの放射能であって、本教の浄霊によって奇蹟を表す現当利益の根源で、

これに対し信徒も第三者もただ不思議の感に打たれるだけで、その原理を知りたい意欲は誰もが同様であることは、私もよく知っていた。

故にこれまでとても大いに解明したかったのであるが時期尚早のため、いままで発表はできなかったのである。

ところがいよいよ時期切迫、もはや発表するの止むを得ない時となったのである。


私は浄霊の方法として現在行っている方法は、光の文字を大書した紙片を与えるのである。

それをお守りとして懐へ入れることによって効果を発揮する。それは光の文字の墨色から強力なる光波が放射し、術者の身体から腕を通して掌から放射される。

この放射力は数尺ないし数間くらいが最も適当としている。

そうしてこの光の文字から光波が放射されるということは一体いかな訳かというと、私の体から霊線を通じ個々の光の文字へ一瞬にして伝達するのである。

ちょうど放送の無線電波とよく似ている。

私の霊体から、霊線を通じて光波が放射するとすれば、一体私の霊にはどういう仕掛けがあるかということになるが、それを知ることによって疑いは解けるわけである。

それは私の腹中に平常は直径二寸くらいの光の玉がある。これは見た人もある。

この玉の光の塊から光波は無限に放射されるのである。

しからばこの光の玉のその本源はどこにあるかというと、

これが霊界における観世音菩薩の如意の玉から、私に向かって無限光を供給されるのである。

これがすなわち観音力であり、不可思議力妙智力とも言われるものである。

如意輪観音が持し給う玉もこれである。」 つづく




「浄霊の原理 神示の医学」 6 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/15(木) 17:59:00

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 6 (昭和24年5月30日発行)

第 四


「ここで、観世音菩薩の由来を書かなければならない。

諸仏中ひとり観世音のみは昔からご秘仏とされていた。

これは深い神秘があるので、その神秘の全部は未だ時期なお早く発表はできないが、いずれ神の許しのあり次第発表するつもりである。

ここでは浄霊に必要だけの神秘を書くこととする。


勿論、観世音のお働きは仏教渡来からであるが、その当時から最近まではただ霊のみの御救いであった。

勿論人間が祈願することによって利益を賜るには賜ったが、それははなはだ微弱であった。

その理由として光の原素は火素と水素の密合であるが地素が欠けていた。

故に利益を与える場合二元素のみであったから、力が不充分であったわけである。

ところが霊界における大転換の時が迫り来った。

聖書中の世の終わり、最後の審判の時がそれである。

これがため最も強力なる絶対的救済力が必要となった。

この力こそ前述のごとく火水土の三位一体の力であって、土の力とは物質の原素で、人間の体に当たる。

光が体を通過することによって土素が加わり三位一体の力となる、すなわち観音力である。

これを判りやすく言えば観世音菩薩の如意の玉から発揮される光素が、私の体を通じて観音力の発現となり、それが私から信徒の体を通じ浄化力となるのである。」 つづく


「浄霊の原理 神示の医学」 7 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/16(金) 00:51:18

明主様御教え 「浄霊の原理 神示の医学」 7 (昭和24年5月30日発行)

「右の理を例をもって解説してみよう。

例えてみれば、昔から病難除去の利益を戴くべく、観世音の画像または彫像に向かって祈願するに対し、

今日、本教の信徒が行う浄霊の方が何倍かの利益を挙げ得るのである。

それは画像や彫像からの光波では二元素のみで、肝腎の体の力が加わらないからである。


いま一つの理由として、常に私の唱える霊界の大転換である。

これは昭和六年六月半ばからでそれ以前の霊界は水素が多く火素が少なかった。

しかるにそれ以後水素よりも火素の方が漸次増加しつつある一事である。

もっともこの時より数十年以前から転換は始まっているにはいたが、それは火素がすこぶる稀薄であったことである。

ここで光の強弱について説明するが、光の強いということは火素が多いからで、

電灯の燭光が多いほど熱が強いのと同様である。


いま一つの例は、私の腹中には火素の塊があるから、普通人より非常に熱いとよく言われる。

私は毎晩のように奉仕者に肩を操ませるが、誰もが非常に熱いといい、冬でも一、二枚衣服を脱ぐくらいである。

また私が部屋にしばらくいると、部屋が熱いとみんなが言うり私は「ストーブの代用になる」と大笑いすることがある。

私は入浴後、寒中でもタオルの寝衣一枚で、一、二時間そのままでいる。

しかも私は特別のぬる湯好きである。

これは火に水を注ぐとかえって熱度が増すと同様の原理で、冬晴天の日の方が寒いのもこの理によるのである。 」


「薬が効かなくなった」 (浄霊法講座 1)

  • 2009/01/16(金) 20:12:33

明主様御教え 「薬が効かなくなった」 (昭和28年2月18日発行)

「本年二月三日東日紙上に左の記事が載っていた。」 


新聞記事 効かなくなったペニシリン

 
「戦後医薬界に彗星のごとく現れ、あたかも医療に小革命を起したかの感があった「ペニシリン」は、最近その効力が著しく低下、

特に今全国的に流行している風邪にも、目立った効力を現わしていないところから医事関係者や利用者から自然に敬遠され出していると言う。

そこで「ペニシリン」凋落(ちょうらく)の真相を東大附属伝染病研究所、都衛生局などから聞いてみた。

  
どんどん強くなる菌  罪は「アメ」や食品にも


・ペニシリンが「一般的には大した効きめはない・・・」といわれ出したのは昭和二十五年全世界を冒しまくったイタリヤ風邪以来の事である。

この原因はペニシリンそのものは風邪の病原体であるウイルス菌には全然効果がないためで、

専門的にいえばウイルス菌は百ミリミクロン(一ミクロンは一ミリの千分の一)以下という電子顕微鏡でやっと見られる微細なものだが、

ペニシリンの効力範囲はその四倍から五倍の四、五百ミリミクロンまでがせいぜい・・・という理由からである。

従って風邪の副作用として起った肺炎菌などに対しては効用があるが、風邪そのものには全く歯が立たないというのが信用失墜の最大原因となっている。


・ペニシリン不振の第二の原因は放出食料品や国産高級食料品に幾分の罪があるー

これはアメリカばかりでなく世界各国の高級食料品や菓子類の大部分はその中に極少のペニシリンが包含されているためである。

幼児用の「アメ」類にもペニシリン入りが宣伝されて売られているのが見かけられるが、

この見方からゆくと日本国民の八割強までは知らない間にペニシリンを何らかの形で体内に摂取しているという。

従ってペニシリンの注射をした事のない者でもペニシリンへの抵抗要素を体内に作っていることになり、

病気でペニシリン配剤のときに多少のソゴを来すこともあるといわれ

ほとんど医療には影響はないが「効かないー」といわれる一つの理由になっている。


・性病の中で淋菌退治はペニシリンの独壇場の感があったが、最近は淋菌そのものがペニシリンに対する抵抗力を著しく増しているので、治癒も二、三年前よりは困難になってきている。

つまりペニシリン出現当時の昭和二十二年頃は僅か十万単位から二十方単位の注射で完全に治癒したものが、現在では二十倍近くの百八十方単位以上を注射しなければ完全治療は困難だという。
 
結局淋菌そのものが数年前より数倍の抵抗度を増したというのが、性病治癒を困難にしている原因となっている。


・最後にペニシリン・ラッシュという製薬界の現象もこの功罪に仲間入りしている。

わが国では最盛期の昭和二十五年には、全国で百社近い製薬会社がフルにペニシリンを生産、同年間には七兆五千億単位という天文学的数字のペシリンが国内に出まわり利用者は競(きそ)ってこれを使用した。

この結果中流階級以上の国民はペニシリン使用経験者ということになり、前記のような反応が起きることになったという。

では今後の治療法はいかんということになるが、最も賢明な方法はペニシリン、オーレオマイシン、ストレプトマイシン、ヒドラジド、テラマイシン、パス、クロロマイセチンなどの併用に頼るしかないというのが完全治療の一つの前提となっている。」(新聞記事は以上)



明主様御教え

「右によってみれば、近来薬の効かなくなったことは確かである。

ところが真の原因が分らないため、取ってつけたような、はなはだ苦しい理由だか言い訳だか分らないような説明をしているが、吾々から見ると気の毒なくらいである。

信者は百も承知だろうがこれこそ私がいつもいっている通り、全く浄化作用が強くなったためである事は実にハッキリしているのである。

ところが今はペニシリンだけだが、いずれは薬という薬は全部効かなくなるのは知れ切った話であるから、そうなったら大問題である。

従ってその時の用意として、今日私は活字に舌に出来るだけ警告しているのである。

この結果現代医学は、予期通り革命されなければならないのは火を見るよりも明らかである。」


「病気に対する知識を磨け」 (浄霊法講座 2)

  • 2009/01/16(金) 21:59:10

明主様御講話 「病気に対する知識を磨け」 (昭和28年8月5日)

「そこで病気を治すということが根本ですから、そのつもりで、だんだん病気についての知識・・・

といっても、これは医学的でなく、神様の方の病気に対する知識というものを豊富にしなければいけません。

いつも言うとおり、急所を見つけるということは、やはり知識が豊富でないと見当がつかないわけです。

ですから病気に対する研究会とか座談会というものもやると結構だと思います。

それからまた病気に関しての分からないことは、書面でもよいですから聞くようにすることです。

というのは、つまり本当の医学、霊的医学、新しい医学をつくるようにしなければいけないと思います。

それは医学と違って、そう解剖学的に知らなくてもよいのです。

勿論、ただ霊的ばかりでも、治るには治るが暇がかかるわけです。

同じ浄霊するにもピタッと急所に見当がつけばずっと早く治ります。

それを、見当はずれなどをやっていると非常に暇がかかるわけです。

だから霊的と体的の両方のことをよく知った方がよいです。

時々質問などで、分かりきったようなことを質問する人があります。

この間の質問事項などは、どこの支部長でも分かるようなことを質問したりしてました。

そういうのは「支部長に聞け」という返事をしました。

それからまた御神書にいくつも書いてあることなどを質問するのがあります。

それからまたあんまり分かりきったこと、つまり一年生の生徒が質問するようなことを質問するのですから、いかに病気に対する頭が貧困かということが分かります。

ですから教師などは病気に対する知識をできるだけ磨くようにしなければいけないと思います。」


「一番の事は智慧正覚」 (浄霊法講座 2)

  • 2009/01/17(土) 01:18:35

一 浄霊の合理性

明主様御垂示 「一番の事は智慧正覚」
 (昭和28年7月1日)

信者の質問

「資格者といたしまして、人を救うこと、信仰の向上を図ること、御奉仕とをどのような順序に考えましたらよろしいものでございましょうか。

また金銭物資の御奉仕の意義、方法につきましてお伺い申し上げます」


明主様御垂示

「恐ろしい質問だね。それは、どっちが肝腎だということを考えるそのことが間違ってます。

そういうことは考えないのが本当です。

というのは、神様はその人の使命、その人に与えられた能力によって人を救う御用をする人もあるし、お金の御用をする人もあるのです。

向上は全般ですが、各々その使命があるのです。

というのはそういう事情になってくるのが使命ですから、そうなったらそうすればよいのです。

金が集まって来て、人を浄霊するよりもというのは、そういう使命があるのです。

また金がない、信者をたくさん作るというのはそういう使命があるのです。

それは周囲の事情がそうなって来ますから、ただ素直にそのままを考えて進んで行けばよいのです。

それから向上ということは、一番のことは智慧証覚です。

いろんなことが分かることです。分かるといっても間違った分かり方ではいけません。

その標準は御神書です。御神書に書いてあることがだいたい「なるほど」と思えれば、それは智慧証覚がだいぶ上がっているのです。

「どうも分からない」というのもあるし、そのときはなるほどと思っても、家に帰れば忘れるというのもあります。

いろんなことがフッと解るのは智慧証覚が向上しているのです。

病状をみて、この人はこの病気だということを当てれるのは、よほど智慧証覚が上がってなければならないのです。

だから以前は五つ分かったが、この頃は六つ分かる、七つ分かるというのなら智慧証覚が向上しているのです。」


「急所を発見せよ」 (浄霊法講座 2)

  • 2009/01/17(土) 20:36:30

明主様御講話 「急所を発見せよ」 (昭和28年7月5日)

「なにごとでもそうですが、まず急所です。

浄霊の場合でも急所を発見することです。


急所を発見するということは、いま言ったようなことをだいたい知っていると急所が非常に分かりやすいわけです。


自分で自分の健康診断をする場合にも、

体中を触ってみて熱のある所に毒素があるのだから、

触ってみてずっと冷たければよいですが、どこかに熱がありますから、そこが急所です。

それから押してみて必ず痛い所があります。

人によってはまるっきり痛くない人がありますが、

これはなにかというと毒がなくて痛くない人はまずないでしょうが、

毒が固まりきって少しも浄化が起ってないのです。

それで痛いということは、固まりにいくらか浄化が起っているから痛むのですが、

浄化がぜんぜん起ってないと痛まないのです。

ですからこういうのはかえって危ないのです。

そういうのはかえって信仰にはいると、痛みのない人が痛みが出てきますが、これはそこだけが活動を始めたのです。

しかしそういう人はごく少ないので、たいていな人はどこか痛いのです。

そういう所を自分で浄霊するなり、後の所は人にやってもらうなりすると、それは健康になります。


それで自分で浄霊するにも一番は肩ですが、

肩で固い所がありますからそこをやればよいです。

そうしてごく小さい固まりがあることがありますが、

それを浄霊するには、指から霊を出すのです。

これはいつも言うとおり触ってはいけません。

二本の指でこうやって、中指から霊を出すようにするとよいです。

この指から出る霊は強いですから、小さい固まりはよく溶けます。


そういうようでなんでも急所です。

ところがこの急所を外れていることが多いのです。

これは病気ばかりではないので、日常のことや話や、いろんなこと、また宣伝の具合でも、

人が「信仰にはいろうか、どうしようか」と迷っているときに急所をピタッと言えば、

「では、はいろう」ということになりますが、

その急所を見つけるのがなかなか難しいのです。

しかしその人の智慧証寛が進むと、急所の発見が早くなります。

どんなことでもその急所をやることです。

それから急所が見つからないときに、あせってやってはいけません。

それはまだ時期が来ないとか、いろいろな事情があるのです。

ですからふだん心掛けていれば、時期が来さえすれば急所は見つかるものです。

ですから病気でも、どうも熱が冷めないというときに、ちょっと急所に来ると冷めることがあります。

これはあなた方でも経験することがあるでしょうが、

急所を発見するということが、人間人生の最大の条件です。


ですからいまの政治、経済、外交ということも急所を外れているために、

ずいぶん間抜けなことをやっているわけです。


私はよく新聞ラジオで聞いてますが、政治家が大勢で毎日いろんなことを会議したりしてますが、急所を外れてます。

とにかく偉い人たちが大勢寄って相談してますが、急所の他のことを相談しているのです。

ですからよい案が出ないのです。

というのは頭が悪いわけではないので、頭は良いのですが、ただその頭も外側が良いのです。

中身が悪いので、外側ばかりをいろいろ論議して、中身を論議する人はないのです。

やっぱりの、ス(註 ○にチョン)が分からないのです。

ですから人間は急所の発見ができるような頭を作ることです。

信仰もその修行です。

メシヤ教というものはですから、

いままではみんなこれが分からなかったのを、これを分かりこれを主にして救うということが根本なのですから、

そういった頭で物事をみたり、いろいろやったりするとすばらしいものです。

これはなかなか難しいですが、せめて急所に近い所がすぐ分かるようになれば結構です。」


「病院に行った人には浄霊するな」 (浄霊法講座 2)

  • 2009/01/18(日) 04:59:06

明主様御垂示 「病院に行った人には浄霊するな」 (昭和28年7月1日)

信者の質問

「十七才の女学生でバレーの選手ですが、急に体中が引きつり、名古屋医大にて舞踏病と言われました。

肩から延髄の右にものすごい固まりがあります。

光明如来様は御奉斎いたしており、母親とその娘が入信しておりますが、主人はまだでございます。

周囲の事情により入院をといわれておりますが、奥さんは病院に浄霊に来てくれと申します」


明主様御垂示

「絶対にいけません。

そういうことをあなたが私に聞くということがおかしいです。

そんなことは今まで知らなかったということは変です。

だいたい病院に行ってやるということは、先方ではお医者さんにお任せしたのだから、

こっちがやることは間違っているから、やらないのが本当です。

ただ、何かの事情で病院に行ったが、本人が「もういやだ、神様にお願いしたい」と言うし、

また側の人で反対する者がないという場合には行ってもよいですが、

一人でも反対する者があるのは駄目です。

そこの主人公が「とんでもないことをした」という気持ちになって、あなたに頼みに来れば行ってもよいです。

そうでない限りは絶対に行ってはいけません。人間界のこともそうですが、

特に神様のことは筋がたっていなければいけないのです。

筋が立たないことは絶対にしてはいけません。

だからこの間話もし、論文も書いたように、合理性ということですから、理屈に合っていなければならないのです。

今のは理屈に合っていないから駄目です。どこから見ても理屈に合っていればよいです。

肝腎の主人が医者にお願いするのではぜんぜん筋は立ちません。」